生命の起源フォーラム (ORIGINS OF LIFE FORUM) - 単細胞生物と多細胞生物 -システム相同か?- (Multicellular organism and Unicelluar organism -Homologous systems?- - Subject 議題 - LIFE-Forum (LIFE交流広場)
生命の起源フォーラム (ORIGINS OF LIFE FORUM)
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単細胞生物と多細胞生物 -システム相同か?- (Multicellular organism and Unicelluar organism -Homologous systems?-

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 .4 | 投稿日時 2012/2/29 14:16 | 最終変更
Kazuhiro Iida  管理人   投稿数: 68
会社頭からリハビリ中の飯田です。
生命とは何かを再考することにもつながると思い、話題提供します。

細菌や原虫などの単細胞生物と、草本や脊椎動物などの多細胞生物とをいきなり比較してみましょう。両者は、そのサイズや構造の複雑さにおおきな差があります。

ところが、多細胞生物1個体(例えば、読者という一人の人間)、単細胞生物1個体(例えば、藍藻の細胞一つ)を、機能に注目して比較すると、驚くほど似通った機能で成り立っています。小中学生の理科の授業で、はじめて単細胞生物の存在を知った時を思い出して下さい。どちらも「外から栄養を取り入れて、中で体をつくって、いらなくなったものを排出するんだよ」と。 今思えば、あれは単細胞生物と多細胞生物は、システム相同なんだよと教わったのかなと深読みしてしまいます。

ここでは、生物の具体例をあげながら、その仮説(システム相同である?)を検証してゆきたいと思います。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2012/3/1 19:12 | 最終変更
Kazuhiro Iida  管理人   投稿数: 68
なんで今更?という方もいらっしゃると思いますので、少し補足いたします。細胞性粘菌の話は後で述べるとして、人間を対象にします。

ご存じのように、人間は単一の受精卵が分裂、分化を繰り返して成体になります。成体の個々の細胞を見ると、ほとんど代謝していないもの(表皮)、核を脱ぎ捨てたもの(赤血球)、複数の核を持つもの(肝臓の細胞)、死ぬべくプログラムされているもの(上皮、発生中の水かき)など、元の受精卵のシステムとは異なるシステムになってしまっています。

成人は受精卵の単純和でなく、受精卵と異なるシステムがさらに組織されたいわば高次のシステムになっています。

この成人が、もしかして受精卵とシステム相同とすると、異なるシステムが集まって全体として見ると、もとの受精卵と同じシステムになってしまったということで、驚いていいことだと思います。

戯れに直径1.8mの巨大な受精卵をイメージして下さい。これと成人は、システム構造の基幹部分が同じということになります。(なんで人間が巨大な受精卵にならなかったのかは、置いておきます。)
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2012/3/2 21:52 | 最終変更
ohnishi  新米   投稿数: 1
 単細胞生物が先に生じて、さらに単細胞性単相真核生物が進化したと考えられます。倍数性(=複相)単細胞生物の出現は、単相単細胞生物の近縁2個体の協力行動の結果としての近縁2個体共生体の創生であったと考えられます。2個体協力行動の在り方としては、(ハミルトンの近縁選択による)近縁2個体の協力行動としての2個体融合や(ファゴサイトーシスによる近縁者の)共食いなどの説(後者はマーギュリス説)がありますが、結果的には何らかの形での近縁2個体融合と、減数分裂による元の単相単細胞個体への回帰によるライフサイクルが構築されたと考えられます。減数分裂中期における相同染色体の対合は、協力すべきパートナーの近縁性認識行動として解釈可能です(Origin Life Evol.Biosph. 26: 499-500,1996). 相同染色体対合・分離が可能な範囲の近縁個体同士の2個体融合でなければ正常な単相個体に戻れず、それまでの複相協力行動=2個体協力行動を(結果的に)チャラにするのです。ですから、単細胞性真正細菌としての単細胞個体は、単相単細胞真核生物個体との間にシステムとしての相同性があります。また、複相単細胞生物のライフサイクルにおける単相世代個体が細菌個体とシステム相同です。複相多細胞動物の複相多細胞世代は、複相単細胞生物の複相世代が二次的に(従って、時代的に遅れて)多細胞化したものですから、その複相多細胞個体の体細胞や生殖原細胞(2n)は起源的には複相単細胞生物の複相世代の単細胞個体とシステム相同であって、単相世代の単細胞個体とは直接的にシステム相同ではありません。多細胞動物の単相世代は、単細胞個体性を維持していて、卵や精子は単相単細胞真核生物個体とシステム相同です。その意味において、ヒトはレッキとした単細胞鞭毛虫の一種なのです。卵は2次的に鞭毛を失っているだけです。ただ、複相世代が複雑多様に進化して、単細胞鞭毛虫であることが見えにくくなっているだけの事です。
 ここのところは、ニュートン力学が物体の運動を質点の運動にまて簡単なシステムとして簡略化して本質を捉えたように、ヒトのような複雑な生物個体をそのまま単細胞生物個体と比較するのではなく、ヒトのライフサイクルのうちの最もエッセンシャルな部分としての単相世代個体をヒトという鞭毛虫の本来の個体の生きた姿として、そこから変形したライフサイクルをもつ生物としてヒトを眺めることによって、ヒトを、「細菌からヒトにまで通用する生物学の第1法則としての、単相単細胞個体としてのヒトの本来の姿」 がすっきりと見えるのではないでしょうか? ニュートンがシステムの本質を見抜いて、余分なものを捨て去って第1法則をえぐり出したように、我われもまた、ヒトの余分なものを捨てて、単細胞鞭毛虫としてのヒトの姿に焦点をあわせれば、「細胞の起源以降の一般生命法則としての、生命の第1法則」 はすぐ目の前に見えているのだと思います。
 人間中心主義の伝統的生物学の目が、私たちの生物を見る目を曇らせているだけのことでしょう。科学における新しい視点の認識は、視点を変えることで容易に到達出来る場合が少なくないように思われます。科学史を遡ると、日常的に慣れ親しんだ見方について、「視点を変える」という 「常識の放棄」 こそが科学革命の最重要部分としての要なのでしょう。
 ニュートンが常識を捨て去って「リンゴが落ちる」のを不思議に思ったように、また、アインシュタインが「直線のモデルとしての光の経路」の常識を疑ったように、私たちも 「ヒトは多細胞生物である」 とか、「ヒトは複相生物個体として生きている」 という常識をかなぐり捨てて、「ヒトは単相単細胞生物として生きている」 という、バクテリア以来の伝統的生きざまの、ありのままの姿を直視しようではありませんか。丁度、ニュートンが複雑なリンゴの実の落下を、質点の落下とみなしたように。 すると、飯田さんの疑問、「単細胞生物と多細胞生物はシステム相同か?」 に対する答えは、私たちのすぐ目の前に、明解に横たわっているのが見えると思います。1665年のフックの細胞の発見以来の生物学の営みが、回答のために必要なデータを全て揃えてくれてあって、分子生物学の勃興以前の段階で回答のための素材は既に完備していたのです。ただ、生物学者や科学者の目が、人間中心主義、多細胞生物中心主義、複相生物中心主義の、アリストテレス以来の旧来の伝統的生物学の目で曇らせられていて、人間や多細胞生物や複相生物の目でしか生命界を見ていなかったのです。歴史は過去から未来へと一方向的に、因果関係に従って流れますから、因果関係を見やすい形で客観的に見るには、過去から現在や未来を見るのが、因果関係の効率的発見を容易にします。人間中心主義や複相生物中心主義では、現在から過去を、時間と逆方向に見てしまうので、因果関係に沿った論理思考がなかなか難しくなってしまうのです。
 その意味で、単相単細胞生物個体としての細菌(バクテリア)の目で、未来としての複相単細胞生物や複相多細胞生物を眺めるという、「細菌の目」を我われが持つことが、飯田さんの疑問や質問に対する答えの、迅速かつ容易で明解な発見に繋がげるための早道だと思います。視点の転換(=パラダイム転換)は、新しい視点を創りだすまでもなく、私たちが素直に、私たち自身である鞭毛虫の1種として思考すればよいだけの事です。私たちは皆んな「単細胞」なのです。「単細胞」こそが偉大であって、人間科学の最先端ナノバイオロジーは単細胞生物個体が何十億年も前に開発したナノテクノロジーのほんの端くれの理解にさえも及んでいない程度なのです。
 多細胞生物の複相世代個体と単細胞細菌個体(または単細胞真核生物単相個体)をシステムとして相同性に関して比較しますと、前者は個体性の2段階の階層的発展を経た、二段階上位の個体であると言えます。前者の構築要素としての複相細胞は、本来的には複相単細胞真核生物の複相個体とシステム相同で、それは、単相単細胞真核生物の、近縁2個体協力行動複合体とシステム相同であると言えます。初期の2個体複合体は、相同染色体の緩い接近と分離による緩い2個体共生体であった可能性が高いと思われますが、殆どの現生複相細胞では、2個体が融合して、染色体やDNAの相互交換過程を含み、2個体共生体としての複相細胞を、本来の2個体のそれぞれの領域に2分するような細胞内における境界曲面は消失し、実際、減数分裂で回帰した単相単細胞個体は、融合(接合または受精)前の2個体のもつ成分が部分交換されたり混ざったりしていて、そのように混ざり合う結果こそが次世代の新たな遺伝的形質とその適応的進化や適応的自然選択を保証するものとなっているのです。
 私は、これらの諸過程が、単なる受身的自然選択のみで進化したとする「総合説」的な説明は極めて不完全で、生物自身が自己改良可能な能動的認知系としての学習ニューラルネット機械として起源し、その認知機械としての能動的認知能が深く関与する形で、生命は認知的・能動的に起源・進化したのだと考えています(Viva Origino, 30:63-78, 2002; Artif.Life Robotics, 16: 448-454, 2012)。 ですから、生命の定義の本質部分には(広い意味での)「認知系」としての性質が必須であって、ミラー以来の生命起源学が、今日まで無関心であった側面であり、21世紀の生命起源学は、「如何にして最小認知系が創成し得るか?」という、より本質的な課題に挑戦しない限り、生命起源学の本質的発展は望めそうにないことは、既にほぼ明白であろうと思われます。前記のArtif.Life Robotics(2012)はこの点を議論しています。
以上が、飯田さんの疑問に対する私の現在の意見です。
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2012/3/3 11:56 | 最終変更
Kazuhiro Iida  管理人   投稿数: 68
大西様(大西先生ですよね?お久しぶりです。:)

生命を議論する時、システムをライフサイクルを含めて考えるべきなのはご指摘のとおりです。大西さん(ごめんなさい、さん→先生の気持ちです)やカバリエスミス(Cavalier-Smith)さんのように単細胞世代を基本として分類する視点もとても意義在ることだと思います。

で、まだ私の問いの内容がうまく伝わってないような気がしますので、大西さんのお言葉を借りて説明させていただきます。私は、大西さんの大きな枠組みの中でいえば、複相多細胞世代のスナップッショットと、その単細胞世代のスナップショットを比較していることになります。

何を比較したいかというと、
「機能」、「システム」、「システム相同」といった内容です。

(※これらの言葉は、明確に定義して議論できますが、多くの視点を取り込む目的で、しばらくの間曖昧なまま使わせていただきます)

大西さん:
多細胞生物の複相世代個体と単細胞細菌個体(または単細胞真核生物単相個体)をシステムとして相同性に関して比較しますと、前者は個体性の2段階の階層的発展を経た、二段階上位の個体であると言えます。

飯田:
その上で、その「高次」の個体が次数としては低次の単細胞個体と、なんで似ている必要があるのでしょうか?という問いです。どのへんまで抽象化して「似ている」と言っているのかは、折りに触れ明示してゆく必要はありますし、だんだんと精密な議論にしてゆきたいと思いますが、まあ、ざっくり眺めてみて下さい。

成人は消化器とか四肢や筋肉とか脳とか生殖器とか肝臓とか腎臓とか臓器といわれるパーツをもっています。受精卵は説明が複雑になるので大腸菌を例に挙げると、それらのパーツに対応する機能を担う微小構造や分子機構があるように見えます。

大西さん:
私は、これらの諸過程が、単なる受身的自然選択のみで進化したとする「総合説」的な説明は極めて不完全で、。。(中略)。。その認知機械としての能動的認知能が深く関与する形で、生命は認知的・能動的に起源・進化したのだと考えています。

飯田:
ここのご意見は、化学反応系がどうして履歴を扱いうるシステムになったのか?という未完の問題に関係しています。この問題については、LIFEメーリングリストでは「間接度」という概念が提出されました。MLArchiveのML1004番とその前後の記事です。


飯田一浩





前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2012/3/5 16:21 | 最終変更
Kazuhiro Iida  管理人   投稿数: 68
システムが似ているとか相同とか曖昧模糊としたことを述べるにあたって最低限の準備をしておきます。

まず、システムの捉え方、つまりは書き方です。

システムにはいくつもの記述方法がありますが、まずは簡単のためブロック図(http://ja.wikipedia.org/wiki/ブロック図)を想定します。

ブロック図は、
1.ブラックボックス
2.そのブラックボックスへの入力
3.そのブラックボックスからの出力

  
2┌──┐3
→│1 │→
 └──┘

の組み合わせで、対象の振る舞いを理解しようとするものです。

1のブラックボックスは、通常、2の入力と3の出力を関連づける関数として書かれます。

ブラックボックスは、原則としてサイズフリー(物理的サイズと無関係)ですが、
通常は、何かの装置と対応づけられるため、その装置(例えば,モーターとか臓器とか)のサイズと関連づけられます。

記述したい対象に応じて、このブロックの物理的サイズや個数を適切に選ぶと、良く記述できたということになります。
逆に、その数が少なすぎたり、小さすぎたりすると、うまく記述できてないなということです。

このブロックが組み合わされて対象のシステムを記述するという意味で、このブロック一つを「要素システム」と呼んで良いでしょう。


通常は、一つの対象を記述する要素システム群の物理的サイズは、だいたい同程度にするようです。(たぶん、人間の認知能にマッチしているからでしょう)
例えば,自動車の駆動システムを記述するのに、「エンジン」と「酸素分子1個」を同列に扱うことはしません。

このように、
①原則スケールフリーなのだけれども、対象に応じて要素システムのサイズが選ばれること、
②それでも、スケールフリーであるがゆえに、物理サイズが異なっても二つのシステムが比較できること
がブロック図による記述の特徴の一つです。


ブロック図で二つのシステムを比較するとは、
1)それぞれのシステムの入出力を(ほぼ)同じとして記述する場合に(これが比較の前提です)、
2)その記述方法で、
  ①システム要素の数、
  ②それらの(ブロックの)関数形、
  ③それらの入出力の接続関係(ネットワーク構造)
を比較することを指します。


で、ブロック図でシステム相同とは、1)の前提もとで2)の①、②、③が(ほぼ)一致している
ような2つのシステムの関係を指すとして話を進めたいと思います。


なお、ブロック図には、環境を含めて記述する場合と、そうでない場合があります。
環境は未知だし複雑すぎて記述できないはず!という考え方もありますが、環境を含めて記述する
という場合は、通常、既知部分に限って記述し要素システムとして組み込みます。


飯田一浩
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/3/5 17:57
Kazuhiro Iida  管理人   投稿数: 68
二つのシステムの入出力を「同じ」として記述するところからはじめて各システムの要素システム、その接続関係を比較するわけですから、ブロック図による記述での比較は、

1)2つのシステムの入出力が同じという前提で、その入出力をどこまで詳しく記述するか

に左右されます。

例えば,ガスの流速を圧力差(単純には水銀柱の高さなどとして視覚化)に置き換えて表示するピトー管という計測器があります。航空機の速度計や、化学プラントの流量計
に用いられています。

航空機の速度計の場合(ハッピーフライトっていうビデオでは、これがバードストライクで壊れ、危うく航空事故をおこすとろこだったことで有名)、ピトー管は大気中で動作し大気圧差を表示しますが、プラント内では例えばエチレンガスの中で動作しエチレンガス
の圧力差を表示します。

もし、大気の流れとエチレンガスの流れを同じ流体として記述すると二つのしくみはおそらくシステム相同と判定できますが、流体の成分まで吟味し、入出力が異なるとした場合、比較の前提が崩れてしまいます。
もちろん流体の成分を変えても、ピトー管の仕組みを保ったまま同じ動作が得られますから成分までの区別は不適切な記述ということになりますが。


また、

2)要素システムを記述する詳しさが、先の前提の記述の詳しさと釣り合っているかどうか

にも左右されます。

航空機の速度計は、デジタルで飛行速度を表示し、プラントの流量計はアナログの圧力計で流速を表示している、だから二つのシステムは相同でないと判定することもできます。
しかし、二つのシステムがともに「流体の運動速度と相関した圧力差を出力する点で、出力が同じと見なす」という前提で比較する場合、前提の詳しさと比べてどうでしょう?
ちょっと詳しすぎますよね。むしろ、この場合デジタル表示かアナログ表示かは無視してシステム相同と判定するのが妥当でしょう。


二つのシステムを比較したい場合、少なくともこれら2点、

1)入出力が同一という前提で、入出力を記述する際の記述の詳しさ(比較の前提)

2)要素システムの記述の詳しさと、前提の記述の詳しさの釣り合い

に気をつけながら議論する必要がありそうです。


飯田一浩
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2012/3/6 18:56
Kazuhiro Iida  管理人   投稿数: 68
単細胞生物と多細胞生物がもし本当に似ていて、上の意味で相同なシステム構造を保っているとしたら、その構造は(少なくとも今までの)進化を通じて保存され続けたシステム構造かもしれません。

その性質が見えると、地球上の生命とは何かを考えるとっかかりの一つになるでしょう。

味気ない議論はとりあえずこの辺にして、そろそろ何が似ているのか列挙してみたいと思います。

比較対象としては、
従属栄養生物では、大腸菌(E.Coli)と人間(Homosapiens)
独立栄養生物では、藍藻(Synechocystis)とシロイヌナズナ(Arabidopsis)
あたりが適当かと思います。

4種ともゲノムがわかっています。(ゲノムの比較結果は後ででてくると思います。他流試合で、藍藻と人間、大腸菌とシロイヌナズナといった比較もできます。)

まずは大腸菌と人間を比較してみます。大腸菌で調べられていない性質、人間では調べられていない性質がある場合、類縁の菌、類縁の動物を引き合いに出すこともありますが、ご容赦下さい。
人間は対象を擬人化(自分と同一視)して説明したがる傾向があるそうですので、そのことを意識しながらできるだけ客観的な類似点を挙げたいと思います。

飯田一浩
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/3/7 17:48 | 最終変更
Kazuhiro Iida  管理人   投稿数: 68
【貯蔵システム】

最近自分がメタボになって来たこともあり、最初は「貯蔵システム」から。(各システムの名前は仮につけたものです、後でもっと適切な名前が見つかると思っています)

生身の人間では主に骨格(Ca)、肝臓、筋肉、脂肪組織が担っている機能に注目します。(周辺の環境も含めると人間は干物を作ったり冷蔵庫を使ったりして体外にも貯蔵しています。)
大腸菌では、グリコーゲン顆粒、ポリリン酸顆粒、脂質膜に注目します。(周辺の環境も含めると、大腸菌は細胞壁(これは細胞外物質)のペプチドグリカンをリサイクルしています。)


これらの組織の働きがブロック図モデルで比較してシステム相同なの?という話を次のような順序で進めます。

(1)比較の前提を確認する: 大腸菌を1個のブラックボックス、人間を1個のブラックボックスと見なす時、ブラックスボックスへの入力、出力を何とするか。ブラックボックスの特徴とすべき、入力と出力の関係は何か。

(2)要素システム(群)を確認する: そのブラックボックスの要素システムを何とするか。個々の要素システムの入出力を何とするか、要素システムの特徴とすべき、入力と出力の関係は何か。

(3)要素システム(群)の構成を確認する: 最初のブラックボックスの入力、出力、特徴とマッチする要素システムの接続関係(グラフ)はどんなか。

(4)比較: 接続関係のグラフは同じ(isomorphic)か? 最初のブラックボックスの挙動が、各要素システムの挙動でみても同じか。



(貯蔵システム)

(1)比較の前提

大腸菌を1個のブラックボックス(BBと略すことにします)、人間(成人)も1個のブラックボックス(BB)とします。
各ブラックボックスへの入力はざっくり炭水化物、脂肪、タンパク質、Na,K,Ca,Fe,Mgなどの無機化合物、そしてそれらに付随する自由エネルギーです。
各ブラックボックスからのシステムはざっくり、利用されなかった分の入力と、低分子有機化合物(尿素、尿酸、馬尿酸等)、低分子無機化合物(水、二酸化炭素、アンモニア等)先の無機化合物の塩、それらに不随する自由エネルギー、そして熱です。
これらの入出力を、大腸菌のBBでも人間のBBでも同じと見なします。

人間のBBを見ると、食事を一回抜いても、急激に痩せたり、体温が低下したり、動けなくなったりしないけれども、何日間も全く食べないでいると肉がそげて、体温が低下して、動けなくなってしまうことからわかるように、
力の変動に対して出力の変動が低く抑えられるような関係があります。入力の高い周波数(毎日の食事頻度程度)の変動はキャンセルされ、低い周波数(何日間にもわたって食べないでいる)の変動が出力に反映される性質ですから、
人間のBBはざっくりローパスフィルタ(低い周波数成分だけを通すフィルタ)としての性質があると言えます(痩せようとして、ジョギングで汗をかくとか積極的な行動は省いています)。

大腸菌のBBも、同様にローパスフィルタとしての性質があるようです。大腸菌は長さで比べて人間のBBの100万分の1のサイズですので、入出力の変動も人間のBBより高い周波数で見る必要があるでしょう。実験をしたことはありませんが、大腸菌の培地から例えば1秒間だけグルコースなどの栄養を除去したとしてもその間、大腸菌の鞭毛運動や分裂が停止し、その後死んでしまうといったことは無いでしょう(経験的に)。培地を無栄養にして何週間もそのままにすると、しかし分裂が停止して(大腸菌は芽胞をつくれませんが)休眠状態(VNC菌)になります。
(大腸菌は、栄養があると盛んに分裂しますから、分裂した相手も出力と見たいところですが、まずは分裂後から次ぎの分裂までの1サイクルの間~概ね30分~に注目することにします。)

BB本体の特徴としては、このローパスフィルタとしての性質を人間のBBでも大腸菌のBBでも同じと見なします。

(つづく)

飯田一浩
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/3/9 14:55
Kazuhiro Iida  管理人   投稿数: 68
今日は余談ですが、会計の方法はシステムの動態を把握する方法ですね。冗談抜きに。

つまり、企業体への現金や預金、サービスや、債券など多種多様な価値の入出力を、貸方・借方で記述してゆくと、損益計算書という形で入出力の総体が明示され、企業体の内部が貸借対照表という形で明示されます。

会計は「そろばん」でなく、システムの記述という見方で再評価するに値すると思います。

確定申告で議論休止中の一言でした。
飯田一浩
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/3/11 22:07
Kazuhiro Iida  管理人   投稿数: 68

次いで要素システム群を確認するステップに移ります。


(2)要素システム群

先の2つのブラックボックス(BB)のそれぞれに対応する物理サイズ、入出力のマッチングを考慮しつつ、先のローパスフィルタとしての性質を実現している要素システム(群)を考えます。

いわゆる貯蔵に関与する組織は複数ありますが、大腸菌のグリコーゲン顆粒、人間の(特に)肝臓は、物質とエネルギーの貯蔵庫の役割を持つと言われ続けていますので、これらの組織に注目します。

その物理的サイズは、大腸菌全体、人間全体に比した体積比で両者とも概ね1/1000~1/100の範囲(環境から栄養が存在する状態で)です。

入出力の関係を決めるBBとして適切なのは、
グリコーゲン顆粒では顆粒とマトリクスとの界面、
肝臓では(サイズ比から)肝全体とするのが良いでしょう。

先に注目した個体への入出力に対応するこれらのBBへの直接的入力は、
グリコーゲン顆粒の場合、ADPグルコース
肝臓の場合、グルコースの他にアミノ酸、脂質球(これらをまとめて以下では低分子量栄養と呼ぶことにします)を含む血液(胆汁生成、解毒等、別系統の機能はここでは見ません)。

出力は、
グリコーゲン顆粒の場合、入力と同じADPグルコース
肝臓の場合も、入力と同じ、低分子量栄養を含む血液です。

次に入出力の関係を見てみますと、
ともにグリコーゲン顆粒の場合ADPグルコース、肝臓の場合は低分子量栄養の血液成分比を
ほぼ一定に保つような定値制御系を成しており、
そのうち特にショートレンジの定値制御系部分を担っています。

すなわち
グリコーゲン顆粒BBでは、入力としてのADPグルコースの濃度が消費されるかグリコーゲン合成に使われるかして濃度が低下すると、グリコーゲン分解酵素に対するADPグルコースの負のアロステリックフィードバックが抑制されてグリコーゲン→ADPグルコースへの分解が進みADPグルコースの値がもとに戻るような局所の定値制御系があり、
肝臓BBでは、(サイズの対応関係で粗い言い方をすると)血液の低分子栄養濃度が上がると肝細胞がそれらを取り込み、下がるとそれらが肝細胞から血液へと放出されるような(肝細胞膜の性質に帰着できる)局所の定値制御系があります。

(※それら、さらに低次の要素システム群については上の粗視化レベルではとりあえず無視します。)

しかもグリコーゲン顆粒BB、肝臓BBは、ともに、その調節対象自体を変質させてため込むという「リザバー」を有しています。
グリコーゲン顆粒の場合グリコーゲン、肝臓の場合(粗視化レベルを合わせると)肝実質がそれです。
グリコーゲンは、大腸菌がそれからATPを直ちにとりだせる物質ではありません。肝実質も、それ自体が血液に溶け出て利用されるような成分ではありません。

ともに、利用するには制御対象を取り出すための仕組みをわざわざ用意する必要がある要素であり、
ともに、その取り出し仕組みがあることで局所定値制御系が構成されているという図式です。


これらのことから、大腸菌のグリコーゲン顆粒と、人間の肝臓とは、入出力、BBとしての挙動から見て、先に「個体レベルのBBで仮定した程度」の相同性を保っているようです。

次に、個体としてのBBの入出力と、それら一部の要素システムを結ぶ他の要素システム、およびそれらの接続関係について見てゆきます。


(つづく)
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