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生命の起源 #222 : LIFE Mailinglist Archive for the Origins of Life study
LIFE Mailinglist Archive for the Origins of Life Study

ID
222
DATE
10/24/1997 07:09:26 AM
TITLE
[life:000222] Re: E-Cell
AUTHOR
"Kazuhiro Iida 飯田一浩 NEC基礎研究所" <iida@***.***>
BODY


高橋様 LIFEの皆様


> | 飯田:系は何らかの情報を保持する必要があるというのに,大賛成です.
> | その情報が何で,どうやって保持するかが面白いところです.
>
> | 保持される情報は何だとお考えですか?
> | 当方は,とりあえずは環境変動の力学系の特徴かと思いますが,
>
高橋さん> そうなるでしょうね。
> # 歯切れが悪いのはもう少しうまい言い方ができそうだけど
> # どうも思い付かないからです ^^;

飯田:
この点,とても重要だと思うので,後に再度取り上げたいです.
どうぞ,おつきあい下さい.


> | 飯田:オートポイエシス的視点は,部分と全体という視点を嫌う,
> |    そのよう_(IH_ぢ視点を設けること自体が,間違いを助長している
> |    という意味ですね?
>
> ええ、この事に関してはevolveでも書かせていただいたとおり:
>
> ========== begin citation [evolve:3061]
> 彼等がAutopoiesis論を提案したときに強調した「新しい物の見方」
> の一つに、系を環境との関係で語るのではなく、また観測者の認識主観との
> 関わりで語るのでもなく、純粋にその系をその作動を記述することで
> 定義しよう、ということがあります。つまり、環境や、観察者も
> 包含して記述した言明は対象となるシステムMについて議論しているのではなく
> 環境や観察者も含んだ大きなシステムM'について語っているわけで、
> 結合線型性が保証されない生命等のシステムについて語る場合には
> これは致命的な範疇誤謬に繋がります。彼等はこれは避けたいということを
> はっきりと言っています。
> だから、本来はautopoiesis論は主観依存的な理論ではありません。
> ========== end
>
> 主観、客観の議論を排したのみならず、部分と全体の二項対立も
> 問題視しているわけです。
> ただし、単位体を設定するからには位相的にせよ時空間的にせよ
> 議論の対象とする系とそれ以外を区別することから議論が
> 始まることは否定できません。
> そこで強調すべきは、提唱者の言葉を借りると、
>
> 「説明はいつも現象の再構成であり、現象の構成素が相互作用と関係
> によってどのようにして現象を生じさせるかを示すことである。しかも説明
> はいつも私たち観察者によってあたえられる。だからシステムに帰属する
> 構成的な現象と、私たちの記述領域つまりシステムと観察者との
> 相互作用に帰属する現象とを明確に区別すること、言い換えればシステムの
> 構成素と、それが観察されるコンテキストを明確に区別することがとても
> 大切」(出典:オートポイエーシス/マトゥラーナ、ヴァレラ 河本英夫訳)
>
> であるということになります。

おっしゃる意味はわかります.でも,システムの構成要素と,それが観察される
コンテキストを区別することって,観察という概念を入れた段階で,部分と
全体の議論になりませんか?

私は,部分系とは,全体の中で特定の条件を満たす部分だと思って
形式的に,
$ D = {r | Psi[r; ho] >0 } $
Dは,システムの存在領域,
$Psi$は,検出条件を代表する実関数(言い換えれば観測装置),
$ ho$は,全系の振る舞いを決める統計量
と書いております.
これは,対象物(ここでは$ ho$に由来する物理量の分布)
と観察のコンテキスト(ここでは,$Psi[]が代表)を,
あからさまに分けることに相当すると思います.
でも,この書き方は,明らかに全体と部分という視点に立っています.

部分や全体の視点,内側その外側という概念を「越える」のでなく,
むしろ,自分が対象にしている事柄が,部分の視点で捉えられている
のか,全体の視点で捉えられているのかを,常に意識しながら議論
することの方が,ロジックのミスが少ないと思います.

私の現在の心境:

オートポイエシスの視点は,物理モデルを書く立場からは
「それほど価値あるものに見えません.」

まず,次の二つの問いに答えて下さい.

Q1.オートポイエシスの見方でなければ説明不可能な現象があるか?

Q2.全体の視点のモデル無しに,オートポイエシス的見地から
   定量的デルが書けるか?

# Varela $sim$ ルイセンコに思える今日このごろ.


飯田@NEC

(センサー,アクチュエータ,プロセッサの話しへと続く)
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"Life and Evolution '97"
Kazuhiro Iida,
Fundamental Research Laboratories, NEC Corporation,
34 Miyuki-ga-Oka, Tsukuba, Ibaraki, 305 Japan.
TEL +81(298)50-1142, FAX +81(298)56-6136.


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