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LIFEの皆様
学会シーズンで,忙しくも嬉しいそわそわした日々をお過
ごしのことと存じます.
今日は茶のみ話のネタに「比喩は科学的な精神活動です」
という主張をひとつ.
比喩は 非科学的だと思われるかもしれせんが,比喩は
自然の中から同形なシステムを切り出してくるという科学的
活動なんです.
システム論の分野ではフォンベルタランフィ(Ludwig von Bertalanffy)
が現象だけの類似性でものごとを理解することを戒めています(*1).
ベルタランフィが言わなくても,理科教育,科学者育成教育は,
この方針にならってきましたし,私もそのような立場です.
ただ私が気にしているのは,この立場がゆきすぎて,比喩という
創造的な精神活動が抑制されていないかということです.
生き物とパソコンを比べたりすると,
「 ばかじゃないの 」
で終わりか,逆に
「 そんな対応関係,分かり切ってるじゃないですか 」
と思考停止する,そういう反応も多く見られます.
比喩は,まず類似の現象を探すことから始めるのでベルタランフィの
意味(*1)で相似による記述をしているようにも見えますが,
同形なシステム(どうし)を見つけるにも,まずその類似性に気づく
必要があります.
さらに,同形の例としてベルタランフィは電子の流れである電流と
水の流れを挙げていますが,これらのシステムフェルミ粒子である
電子と互いに引き合う水分子の流れとは,彼のいう「説明」の
レベルの記述では,相似のシステムでしかありません.
つまり相似か相同かは,その現象を生むシステムの構造の「一部」
が一致しているかどうかにかかっているわけで,その違いは,「説明」
を試みるまで分からないのです.
比喩は,まず現象の類似性を見いだし,次の比喩でシステム構造の類似性
を見いだし,次の比喩で基本的相互作用の類似性を見いだしという具合に
(最終的には)システムの一部の構造が一致しているかどうかを判定できる
まで「繰り返す」ことができます.複数の視点,複数のサイズにわたって比喩
が妥当か検証することで,相似と同形の違いをはっきりさせることが
できるということです.
自然から同形なシステムを切り出し,それでもって現象をシステム論的に
理解するための手段として,比喩(の繰り返し)は, 「 ばかじゃないの 」でなく
市民権を与えられてしかるべきだと思いませんか?
というお話でした.(おしまい)
飯田一浩
(*1)
ベルタランフィは現象の記述に(1)相似,(2)同形,(3)説明の3つの方法が
あるといいました.「相似」はシステムの構造が異なるものどうしを現象
の類似性だけで説明しようとするから非科学的であり,「同形」は,
それが一致するから同形による記述こそ科学的に意味のある記述
であり,さらに,その要素と因果関係,相互作用を一つ一つ記述する
「説明」は,さらによい記述であると言っています.
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