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飯田一浩さんの"Re: A worm's eye perspective (1/16/98)"へ
松野孝一郎より
>2. 方程式の形式自体が変わることがあり得るとして,
>$dot{x} = f(x,t) -(3) $ (fは,ある関数)
>と書いたといたしまして,
>$dot{x}$を現在進行形と呼んで良いでしょうか?
どのような運動過程であれ、その運動の成り立つ
現場は進行形である筈です。ところが、現在進行形
は極めて言い辛いものです。それに最も近いのはス
ポーツの実況中継ですが、これは過去形でなされて
います。”内野ゴロを打ちました”とはよく聞きま
すが、”内野ゴロを打ちつつあります”との実況中
継はついぞ聞いたことがありません。フェムト秒程
度で終了する化学反応、100万年単位の進化過程
も進行形での表現が適いません。現在形から現在進
行形に近づこうとする試みは多々ありますが(上の
(3)式はその一例)、進行形が一体何ものなのか
を明かしたことにはなっていません。(運動微分は
微小時間で隔てられた相異なる二つの現在形が準備
されて初めて可能)
野球実況放送での解説者が ”あそこで外角の球
を待っててはいけません。内角攻めを予想して、ラ
イト打ちに徹すべきでした。”と言ったところで、
現在進行形での打者について明かしたことにはなり
ません。
進行形にある運動に記述でもって接近する際、現
在形から出発してよい、とするのは極めて限られた
場合にのみです。生物進化においては、この問題は
今もって、私には謎です。
松野孝一郎
#フォワードいたしました.(運営)
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