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生命の起源 #1703 : LIFE Mailinglist Archive for the Origins of Life study
LIFE Mailinglist Archive for the Origins of Life Study

ID
1703
DATE
04/21/2006 08:08:25 PM
TITLE
[life:001703] Re: 比喩 Windows OS
AUTHOR
Koichi Takahashi <ktakahashi74@***.***>
BODY


以下、配信から落ちてしまっていた投稿を再送します。
(かなり時期を逃してしまっているのであまり意味ないかも
 しれないですが、一応、、)

飯田さん、対応どうもありがとうございました。

高橋
The Molecular Sciences Institute, Berkeley, USA.

------------------
飯田さん、荒さん、


>>> 細胞との比喩,システムにおける情報の使われ方,という見方で
>>> レジストリって興味深い.何故,必要になったのか知りたいです.
>>> レジストリが作られた歴史的経緯について知ってるヲタクさんは
>>> 近くに居ませんか?ざっと調べたのですが,見つかりませんでした.

windows方面は無知に等しいのですが、Windowsの初期発展の
時期におけるMicrosoftのビジネスモデルの変遷が関係してるような
印象があります。

前に投稿したメール(なぜかMLのアーカイブには
表れていないのでうまく配信されていないかもしれません。)
でちらっと述べたのですが、他のOS、たとえば
たとえばUNIX系では画面描画はOSの一部ではなくX-Window という
ユーザー空間で走るシステムがおこなっており、アイコン
をクリックしたときの動作などはさらにこのX の上に構築された
Desktop Environment と呼ばれるシステムが管理しています。
荒さんのおっしゃるように起動時のシーケンスはinit.dディレクトリ下の
諸ファイルで決まります。各々のアプリケーション、サービスの設定情報は
それぞれ個別のファイルがあることが多いとおもいます。というか
基本的にOS研究者のmindsetとして、モジュール性は計算機科学の
基本ですから集中管理を避けたいという気持ちがあるのではないでしょうか。

(以下完全に憶測ですが、、)
ではなぜwindows であえて集中管理をする設計にしたのかとかんがえてみると、
もちろん当時のPCの性能などの理由から設計の理想よりも現実をとった
ということもあるとおもいます。それに加えて、当時のMicrosoftにとっての
ソフトウエアビジネスの最適戦略は明らかにデスクトップ環境
独占することで派生的なメリットを追求すること、たとえばOSの初期設定で
ブラウザとしてIEが立ち上がるようにすることでウェブでの主導権を
ネットスケープから奪うこととか、だったという背景もあるとおもいます。
このような戦略を正当化する流れからは、オペレーティングシステムという
概念そのもののができるだけ大きくとらえられているほうがいいわけです。
この「大OS主義(?)」を後押しする技術的な戦術展開として本来個々に
アプリケーション、ユーザーレベルで管理するべき情報までOSの動作に
深く関与するレジストリに含めてしまうことによるメリットが、そのことで
OSの動作を不安定にしかねないデメリットを上回る、という判断があった
のかもしれません。

その意味で、エピジェネティック修飾をからめた飯田さんの議論は大変
おもしろいとおもいました。上述のような文脈でいうと複数の遺伝子の
修飾、あるいは修飾に関連する遺伝子の機能、制御に直交性はあると
いっていいのかという疑問が一つ出てくると思います。


> 先日,比喩による理解は意味がないという指摘を尊敬するある先生から
> いただき,

飯田さんが尊敬されるほどの方が拙速に比喩に意味がないなどというような
ことを述べるとはちょっと信じられません。

そういえばたしかに僕も上述の紛失してしまったメールでPCと細胞との
直接の対応関係が成立するか否かについて疑念を呈しました。
(やっぱり下にもう一度添付しますね。)
この二つの特定の系の組み合わせが、相同・相似の議論を通じてなんらかの
深い生物学的な見地に到達することを考えた時に、最も近道である
組み合わせかどうかは議論の余地はあると今でも考えています。

一方で飯田さんのおっしゃるように生物のような複雑な系の理解には
多面的な(繰り返しの)比喩のアプローチが逆にストレートな比喩より
近道になる場合も多いし、そのことでしか到達できない物事の見方・
理解が実は大多数あったということも、科学史を考えれば真ですし、
Windows OSと細胞との比喩に意味がないとは全くおもいません。
逆から考えてみると、このような組み合わせが相似性ではなく
相違性をひとつひとつ吟味してゆくことで有意義な議論ができる
ことはLIFEのこのスレッドが証明している通りです。

僕自身ベルタランフィーには大変影響を受けましたし、
そもそも科学は人間の認知構造を通しての一貫した世界観の構築の
営みですから、人間の概念操作のうちでおそらく基本的ものである比喩
なしには科学は成立しないとまで言っていいのではないかとおもいます。

ということで、このスレッド、どんどん発展するのを期待しています。
僕にもできる範囲で今後もコメントさせてください。


高橋


P.S.
もし配信から落ちてたとするとかなり遅いレスポンスなのであまりおもしろく
ないかもしれないですけど、念のため一応前のメッセージを下に貼り付けて
おきます。



Subject: Re: [life:001670] Re: 比喩 Windows OS と 細胞
From: Koichi Takahashi <ktakahashi74@***.***>
Date: Tue, 21 Feb 2006 19:26:54 -0800
To: life@***.***

僕はコンピュータと細胞の直接的なアナロジーは成り立たないと
考えていますが、だからこそ飯田さんのようにあえてアナロジー
を考えるのがおもしろいといえるのかもしれません。

もしかしたら、飯田さんはプログラムという言葉でプロセス(OSが
資源割り当てなどの単位とする実行中のプログラムインスタンス)
を意味されているので横林さんが混乱されたのではないでしょうか。

プログラム(アルゴリズム)とは、ある状態の集合(入力)を別の
状態の集合(停止条件+出力)へと有限回の操作で変換する手順
ですが、細胞とOSとで一つ違いを挙げるとすると細胞はブラウニアン
機械であるのに対してOSはノイマン機械であるということがある
とおもいます。

つまり、酵素はその動作の特徴時間スケールではその近傍の分子としか
相互作用できないかわりに多数コピーが存在しそれぞれ分子運動に
より次々に分子の変換をしていきますが、OSでは多数スレッドを
利用するようなプログラムは別ですが基本的にインスタンスは
一つです。 この意味で違いを語るとすると自律性と多並列性という
ことになるんでしょうか。 どちらもコンピュータ科学の主要な
問題とされていますから、将来的にはこのアナロジーは
徐々に意味を持つようになっていくのかもしれません。




なお、システム/シンセティックバイオロジーに関して:
僕もシステムバイオロジーの分野で研究していることに
なっております。仮にこの分野を、工学分野から借用して
きた考え方(信号処理とかロバスト性とか)を生物に当てはめて
なんらかの知見を得る試みであると定義したとすると、
このやり方が大成功であったことは疑いありません。
またモジュール性やネットワークといった考え方が
さらに進んで合成生物学を生んだともいえるかもしれません。

ただ、僕がいつも頭のどこかでひっかかるのは、この
工学のアナロジーで語られた生物あるいは細胞のモデル
が、本当に我々が最終的に帰着すべきところなのかという
ことです。従来の人工物は必ず設計図がある(だれかの頭の中
にしかないにせよ)のに対し、DNAはこの意味での設計図
とは異なります。多くの工学システムは目的関数と停止条件を
本質的に持ちますが、細胞はどちらも持ちません(細胞内
現象論の一部をそれらのアナロジーで語ることはできるかも
しれませんが。)

結局のところ科学というのはどんなやり方にせよ我々の認知構造
に沿ったやり方で現象を抽象化できればいいわけで、既存の
科学の他分野と矛盾なく接続できれば工学とのアナロジーでも
何でもいいのかもしれません。 しかし科学はそもそも経験主義哲学
の一分野であるわけで、いわゆるシステム論(システム科学でなく)
との接続も本質的に重要なのではないかとも感じます。
というわけでシステム/合成生物学の興隆は考えさせられます。


(負の屈折率の件では同じ話題でひっぱってしまいすみません。)

高橋







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